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アンラッキー・デイズ
『アンラッキーな日々はラッキーな日を創る大きな前ふりである』(J.B.キング)
DATE: 2009/06/15(月)   CATEGORY: 日記
『エメラルドフロージョン』
プロレスラーであり、
プロレスリングノアの社長であり、
全てのプロレスファンが愛した
三沢光晴選手が46歳という若さで、試合中に亡くなった。

そんなニュースが昨夜

あまりにも突然の事で、昨夜はザワザワとした胸を抑えられなかった。

広島大会、GHCタッグ選手権試合。

今朝のテレビで試合終了のゴングから搬送されるまでの映像をたまたま見る事ができた。

王者・斎藤彰俊選手のバックドロップを受けたあと、「動けない」という言葉を最後にそのまま意識不明状態になったという。

試合はもちろんレフリーストップ。

プロレスの試合では、試合後立ち上がれない事はよくあって、それでも4~5分経てば立ち上がるものである。

微動だにしない三沢さんの姿にファンも選手も、そこにいた全ての人達が最悪の事態を思っただろう。

必ず立ち上がると信じて、必死に声援を送るファンや選手達。


でもその声援もむなしく、三沢さんは逝ってしまった。

『頸椎離断』という聞いた事もない症状らしいです。



うちの兄が裁いた試合であり、最後の「動けない」という言葉を聞いたのも兄であろう。

うるぐすに兄が出てまして
「試合を止めた時には意識がありました」
とインタビューに答えてた。

兄はバタバタ忙しいのか、電話をしても繋がらなかったのでメールだけ送った。

みんな信じてます。と。

これからも選手・スタッフ一同は、『ノア』を続けていくと決意表明してくれた。

信じて、これからのノアを見守っていきたい。


兄がノアにいるという事もあり、猫☆魂はノアに随分お世話になりました。

猫☆魂の旗揚げ公演チラシに、ノアの小橋建太選手からコメントを頂いたり、大きなお花を頂いた。
ノア関係者も猫☆魂の公演によく来て頂いていた。


ノアの試合も何度見に行ったか。
プロレス好きという知り合いを連れて、よく武道館にいきました。
試合帰りに飲みに行き、興奮しながらプロレスについて熱く語った。


三沢さんの思い出で真っ先に思いつくのが…、

まだ金沢にいた頃東京に遊びに来て、兄貴にスナックみたいな飲み屋さんに連れて行ってもらったら、三沢さんがいて、

三沢さんは
「寿司でも食うか?」
と、豪華なお寿司を出前してくれた。
太っ腹で、器の大きい人だなって感じたのを覚えている。


小さい頃の思い出だ。

金沢にいた頃は、全日本プロレスが地元の産業展示館に来たら、友人達でこぞって見に行き、三沢さんに楽屋でよく写真を撮ってもらってた。握手もしてくれた。

いつも優しく、一レフリーの弟である僕を迎えてくれた。


そんな三沢さん。


壮絶な試合の数々を上げればキリがない。

バックドロップより危険な技を数々受けてきていた。

相手の全ての技を受けきる王道スタイルを貫いていた。
それを天性の受け身センスで耐え抜き、必ず最後には反撃してくれた。

そういうスタイルが三沢さんだった。

ただ、それが首へのダメージを蓄積させていたのだろう。
首を抑えて苦しむ姿を試合中よく見た。


天国で馬場さんや鶴田さんが追い返してくれないだろうか?
まだ早いよと。

まだまだやるべき仕事はたくさんあったはずです。

入場曲のスパルタンX、エメラルドグリーンのリングタイツ、必殺技のエメラルドフロージョン。

大好きなそれら全てが、現実の辛さを蘇らせる。

ただただ無念です。


全ての関係者の方々に、心よりお悔やみ申し上げ、心からご冥福をお祈りします。


仕事が全く手につかないが、このブログで一息つこう。


人生何が起きるかわからない。

残された者達は、悔いのない人生を送らなきゃいけないんだ。
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